受講生の感想
◆胎内内観(養成講座修了後の感想)
第26期看取り士養成講座修了
宮崎 由紀子さま(60代)
(福岡県 相談員)
思春期の頃から「無価値観」「無力感」を感じ、家族の中に居ても学校にいても何か満たされない思いを持ちながら、道化師のように周りを楽しくさせなければ、真面目で良い子でいなければという思いで生きてきたようにおもいます。社会人になっても結婚しても子どもが授かっても、どこか虚しさを感じていました。
40代で「抱っこ法」と言うセラピーに出会い「産道くぐり」のワークを体験した時、産道の中をほふく前進で進もうとした時「間違っていた、ここに来るべきではなかった」「お母さんに歓迎されてない、誰も私の誕生を待ってくれていない」という思いに溢れ、産道の中で、無力感で動けなくなって、母親役の指導者が産道を割って私を抱き寄せ「ゆきちゃん、お母さんは生まれてくるのを楽しみに待っていたよ、生まれて来てくれてありがとう、お顔が見られて良かった」の言葉が心に響き涙が溢れました。その時、私の「無価値観」「無力感」「落胆(がっかり感)」はここから始まったのだと気付いていましたので、「胎内内観」という言葉に強く惹かれ、どんな体験ができ、どんな再評価ができるのかと、わくわくした気分で臨みました。
胎内内観は、「この時間にどなたに対して、いつの自分を調べるのか」「対象者に対して、して頂いたこと」「対象者にお返ししたこと」「心配やご迷惑をおかけしたこと」というテーマで内観することになり、やや緊張しながらも、畳半畳に仕切られた空間の中で、母の胎内にいる私を感じながら静かにスタートした。
今まで一方的に母の胎内にいる時から犠牲者(生まれてこない方が良かったのかも・・・)に立っていた私が、内観しているうちに少しずつ母の苦しさ、悲しさが感じられ、往復書簡を書く時に「母さんごめんね、母さんも苦しかったんだね」「お前を生むつもりはなかったと言ってしまう気落ち、わかったよ」「母さんを許せんと思っていたけど、母さん、私の方こそ母さん許してね」「いのちを授けてくれてありがとう」と言う気持ちになっていた。
2時間後、講師が「失礼致します」と言う声の後入室され、仕切られた衝立が10㎝ほど開かれ、「では、よろしくお願い致します」と手を付いて深々と一礼をされたその瞬間に、「もったいない」という思いと共に、こんなにも「あったかいもてなし」と言うか「対応」をして頂いたことがなく、あったかいものが胸から突き上げ、涙が溢れて来ました。
「私の尊厳を大事にして頂いた」という思いを感じ、心の芯から優しさに包まれ、「私はここに居ていい人」なんだ、「こんな私でこのままでもいのかも・・・」と存在価値を感じました。
朝5時起床夜9時消灯の中で、朝6時から夜8時までの時間のほとんどを胎内音を聴きながら、文字を読むことも人と会話することもせず、食事さえもこの仕切りの中で、ただただ畳半畳の空間の中で自分と向き合い、寝るときも衝立を横一線に並べ壁と衝立の中で就寝するうちに、この空間がまるで胎内の中にいるような安心感を覚え、自分の中へ深く、深く入って、人間が本来持っている本質の自分(生きることの喜びを感じ、人と愛し合い、支え合う自分)や、「慈愛」との出会いの場になっていた様に思いました。
まさしく死に向かっていく時(死を深く受容した時)は、こんなふうに自分の身体にくっついた悲しみや、苦しみや、憎しみさえもそぎ落とし、ただただ「慈愛の世界」に入っていくのかもしれないと思いました。
以上
2015年11月30日記
※ 受講生の感想は、ご本人の許可をいただき掲載しています